26 December
夏に引き続き、「ころんぶす」の活動は今回もありません。楽しみにしてくださっていた皆さん、ゴメンナサイ!
そのかわりと言ってはなんですが、いくつかのサークルさんへ楽曲の提供をさせて頂いています。
サークル「少女病」より12月31日リリースのベストアルバム「Sanctuary(サンクチュアリ)」に、茶太さんの歌う書き下ろし楽曲「Prism」を提供させていただいています。(サンプル試聴可)
また同日にサークル「ねこばなな」よりリリースされる「Omegaの視界」ボーカル集「GNOSISONG」(ノウシス)」では、みとせのりこさんの歌う「白と黒の祭儀」のフルコーラス版が初公開となります。
ところで最近個人の活動が停滞しているのは、主に二つの理由があります。
ひとつは単純に、(これはありがたい話なのですが)コンスタントに頂けているお仕事をこなすのに手一杯で、自分からアルバムなりプロジェクトなりを企画して打って出るタイミングを計りかねているということ。
一方でそうした受注音楽制作に取り組む傍ら、自らやってみたい音楽、表現したいテーマ、あるいは育てたいボーカリスト、そういったものは本当にたくさんあるわけで、もっと効率よく日々の業務をこなすことで、こういったビジョンを具現化すること、これを来年の目標にしたいと思います。(こうやって書くことで、自分に対するプレッシャーになるしね(笑))
もう一つは、サークル「ころんぶす」のあり方にも関連してくるのですが、最近は二次創作というものとちょっと距離を置きたいかな、というスタンスを自分自身持っています。
昔、それこそ音楽でご飯を食べてなかった頃は気軽に今流行りのアニメやゲームのアレンジなどをやることがすごく楽しかったのですが、いざ自分がそういったものの作り手という立場になって、どうしてもその辺りの、権利上グレーなものに対してナーバスになってしまっているのですね。
昨年リリースした「地獄歌占」だって、「地獄少女」の権利者からなんらお墨付きをもらっているわけではない「勝手ファングッズ」ですし、それを言ったら、今同人即売会に並んでいるものというのは、ほとんどがそういったものだと思います。
一方でそういった勝手二次創作や、YouTubeなどの動画投稿サイト上にアップされている、おもしろおかしい改変コンテンツなんかが、コンテンツ産業の活性化を間接的に後押ししているであろう事実は見逃せません。
だからこそ権利者たちも黙認しているのだとは思いますが、それはそれでまったく問題がないわけではない。
そして自分が当の権利者という立場になってみて、こういったダブルスタンダードを自ら肯定するのはちょっとよろしくないかな、というのが最近の考え方なのです。
まあ、自分自身けっこう物事に白黒つけないと収まらないというか、融通の利かない性格でありまして(笑)、どうしてもそこは筋を通したいのです。
そんなわけで今後の活動については、「完全なオリジナル作品を、来年何かやる!」というのを抱負とさせていただきます。
本来こういうのは新年間もないころにやるのが通例ですが、今年の年末はもう、自分にとって忘年会ラッシュぐらいしかもうイベントはないので、今のうちに啖呵を切っておくことにしました。(笑)
そんなわkで、ゲスト参加の楽曲たちを、どうぞよろしくお願いいたします!
25 December
先日、馴染みのドイツビール屋のクリスマスパーティから戻り何気なく携帯を取り出したところ、あろうことか「地獄少女」ストラップの藁人形の赤いひもが取れていた……。
アニメの設定では、地獄に送って欲しい人の名前を「地獄通信」サイトに書き込んだ人は、どこからともなく現れた地獄少女からこの赤い紐のついた藁人形を手渡され、「この紐をほどくとその相手を地獄送りにする代わりに、あなたも死後、地獄に行くことになるから、よく考えて決めなさい」と二者択一を迫られるのだけど……。
まあ、このストラップの場合はひもも樹脂でできているので、「ほどける」ことはなく、単純に剥がれ落ちただけなんだけれど、なんとなく精神的ショックが大きい……。(笑)
だいたい、地獄送りにして欲しい相手なんていないよ! そりゃ、自分と価値観が合わなかったり、才能や境遇に嫉妬したりする相手なんていくらでもいるけれど、それは誰しも同じこと。
でもだから「あいつ憎い、復讐してやるぅ!」ってな具合に思考がアグレッシブに飛躍する人ってのは、多かれ少なかれ心が歪んでいるな、と思うのだ。
まあ、復讐の是非はそんなきれいごとだけでは語れないよ、ってのがこのアニメのテーマでありキモであったわけなのだけれど。
このひも、単に取れただけなので接着剤でくっつけて使い続けることも考えたけれど、これを良い機会にストラップを変えてみることに決定。
藁人形さん、一年間ありがとう!
一年間と言えば、わがサークル「ころんぶす」のCD、「地獄歌占」が、そろそろリリース一周年を迎えるのですが、いまだに販売店から毎月少量ずつ売上のあるロングセラー作品になっています。
たくさんの方に聴いてくださって本当に感謝!
ちなみに今年の冬コミ参加はありませんが、ゲストとして楽曲提供した作品はあるので、追ってこのブログとサイトで告知致します。
24 December
というわけで今夜はクリスマス・イヴである。
なんだか最近は、クリスマスツリーならぬ、電飾ハウス(?)が流行らしくて、うちの近所などでもLEDのデコレーションを施された一戸建てのおうちをたくさん見かける。

しかしあれ、よくよく考えるとかなり目立つなぁ……防犯上の観点からあれってどうなんだろう。
あと昔からの日本人の感覚だと、ああいった目立つことは周囲をはばかってなかなかやろうと思っても踏ん切りがつかないものだけど、最近はだいぶそういうところが、いろいろな価値観を自然に受け容れる土壌がはぐくまれつつあるということか……。(なんでうちの話って、こう難しい方向に行くんだろう(笑))
18 December
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「消費型ゲームが面白くない」、とは言わない。
面白みがあってこそ(日本だけとはいえ)それなりに市場が形成されているわけだけれども、それはあくまで消費されるだけで横に広がることはない。消費されつくした時がその最期だ。
自分としてはこのように、今後日本のゲームシーンがどうあるべきか客観的に分析しようとしているだけなのだけれど、それを「嫌いなゲームの悪口を書いている」と、単なる感情論として片づけられてしまうのは甚だ心外な話である。
主にプレステ世代の消費型ゲームとともにゲームに親しんできた(そして飽きてしまった)ゲーマーたちは、驚くほど新しいゲームやゲーム機に無関心、あるいは保守的なくせに、自分が気に入ったり大作とされているシリーズタイトルへの執着は人一倍強く、そのタイトルの新作が出るからにはゲームハードを同時購入してしまうほどの行動力を見せる。
いろいろなゲームをたくさんの人に知ってもらう、という試みについては自分も「Halo 3」、「テトリスDS」、「Forza Motorsport 2」などの紹介エントリをこれまで書いてきたけれど、そのようなエントリはゲーム好きの人には面白く読んでもらえるかもしれないが、目の前にタダでゲームを与えられても見向きもしないような人たちにわざわざ読んでもらえるとは到底思えない。
個人的には、そんなにたくさんレビューができるほどゲームをプレイする時間がない、あるいは他にやりたいこと、やるべきことがたくさんある、という理由も少なからずあるわけだけれど……。
どうすれば自分がゲームをプレイすることによって得られた喜び、興奮、感動、そういったものを他人に伝え、ひいては日本のゲームシーンを再び世界一……とまでは言わないにせよ、欧米諸国と肩を並べるくらいに豊かにしていけるか、正直自分もまだまだ暗中模索の只中にある。
なにせ、「ゲームに無関心な人にゲームの楽しさを伝える」ミッションについては、その道のプロであるところの任天堂でさえも一筋縄ではいかない難事業なのだから。
もし、「これは」と思えるようなアイディアがあれば、ぜひ皆さんにお寄せいただきたい。
最後に、先日DSで発売された、「ドラゴンクエスト IV ~導かれし者たち~」を、この国民的タイトルに対する敬意、そして我が国のゲーム市場に対するエールを込めて、お布施のような心持で買ってきた。
最後までプレイするかどうか、自分がこのゲームにどういった面白さを見いだせるかまだわからないけれど、いずれまた話題にしてみたいと思う。
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一方の創造型ゲームは、言ってみれば作り手はボーリング場やバッティングセンター、はたまた食べ放題のバイキングのように「楽しむための場所や道具」を提供しているにすぎず、そこでどういう風に楽しむかは、お店やほかのお客に迷惑が及ばない限り各人のペースや好み、創意工夫などに委ねられている。
創造型ゲームにももちろんバックグラウンドとなる一本道のストーリーがある場合が多いし、エンディングも用意されているけれど、「作品をクリアすること」に主眼が置かれておらず、プレイを通して得られる体験そのものを重視する傾向が強い。
たとえばパドルでボールを弾いてブロックを崩すことやマリオをジャンプさせてカメを踏みつぶすこと、はたまたマフィアの一員に扮してパトカーとカーチェイスを繰り広げることや、実車さながらの挙動のレーシングカーを駆って走りを極めること、そういった体験そのものが楽しめるように制作されている、ということだ。
例えがアクションゲームに偏ってしまったけれど、ゲームプレイを重視したゲームであれば、もちろんポケモンのようなコマンド選択式のRPGでも、カルドセプトのようなカードゲームでも、「桃太郎電鉄」のような双六でも一向に構わない。
このようなゲームは一度クリアしたゲームでも色あせないし、逆にエンディングを迎えなかったからと言ってそのゲームが楽しめない、ということには直結しない。
時には、プレイしていてなかなか突破できない難関が立ちはだかったり、対戦プレイで一向に勝てない相手に出くわすこともあるだろう。
でも繰り返しプレイすることによってコツを掴んでスキルを磨き、それらの壁に打ち克った時に得られるカタルシスというのはまた格別で、これは消費型のゲームでは到底味わえない部類のものだ。
もちろんそのような求道的なプレイを志向せずとも、自分の楽しめる範囲でカジュアルに楽しむことができるし、それができるのも創造型ゲームの間口の広さと懐の深さだ。
このように、その瞬間ごとのわくわくするような体験を第一義としたゲームは、例えば全体のステージ数やストーリーの長短などの物量に関わらず楽しいものだ。
このことは創造型ゲームが、そのボリュームの大小問わず成立しうることを示唆している。
さらに創造型ゲームは、強力なコミュニケーションツールでもある。
自分も含めた、ファミコン世代の年季の入ったゲーマー(笑)なら、若かりし頃に友達の家に集まってわいわいとゲームを楽しんでスコアや腕前を競ったり、はたまた協力して敵と戦ったり一緒に隠しアイテムを探したり、さらにゲームをきっかけに交友関係が広がったり、そういった経験をお持ちの方も多いことと思う。
ゲームそのものが楽しいのはもちろん、それ以上に誰かと一緒に遊ぶ、創造性やそれぞれの体験を共有する、そういったことがより楽しい。
日本でもDSやWiiがリリースされた頃から主に任天堂が、ゲームの楽しみを見出せなくなったプレステ世代のゲーマーをあえて切り捨てて、今までゲームに触れてこなかった層に「脳トレ」や「Wii Sports」といった身近なテーマでまずこれまでのゲーム機の持つネガティブな先入観をリセットしてゲーム機に接してもらうこと、またかつて名実ともに日本が世界に誇るゲーム先進国だった頃にゲームの醍醐味をリアルタイムで味わった世代に「New スーパーマリオブラザーズ」や「バーチャル・コンソール」を届けることによって、もう一度これらの層に「そうだ、ゲームってこんなに楽しいモノだったんだ!」と再認識してもらう取り組み、その両方が見事に功を奏し、喜ばしいことにこうした本来のゲームのあるべき姿は徐々に取り戻されつつある。
そうした意味で、まず取っ掛かりは成功とはいえ、これから任天堂、さらには国内のゲーム市場全体でこうして再びゲームに目を向けてくれるようになった層を、コンスタントに(創造型)ゲームをプレイするゲーマーとして定着させ、願わくば欧米や韓国並にプロゲーマーを輩出するくらいの一大文化に育て上げる取り組みについては、ようやくスタート地点に立ったばかりで、これからがその真価を問われるときである。
先日のエントリ、「ゲームを見つめなおす」(前編、後編)に多数のご意見を頂戴した。
エントリでは、わが国のゲーム市場活性化の大きな可能性を秘めつつ、同時に国内ではお世辞にもまだ一般化しているとは言い難い「eスポーツ」という考え方と、そのeスポーツの普及を目指して邁進している組織の紹介を目的としたものだったけれど、それそのものよりも、その背景として述べた自分なりの考察が大きな議論(というほどでもない?)に発展した。
こうして、ある問題提起に対してさまざまな価値観、考え方のフィードバックが得られ議論が深まっていくところがブログの醍醐味だと思う。
そんなわけで、自分の文章や皆さんのコメントを何度か反芻したうえで、前のエントリーでは伝えきれなかった意図を掘り下げるとともに、改めて自分の立ち位置や考えを整理しつつ、その辺をもう少し書いてみたいと思う。
前の記事では、なぜ日本では「競技としてのゲーム」がいまだ定着し得ないのか、それは本来の意味でのゲームから「ストーリーを楽しむメディアとしての」ゲームへ、日本人の一般的なゲーム観が変化していった弊害ではないか、といった内容を書いた。
誤解のないように断わっておくと、ゲームにストーリーがあるのがよろしくない、ということではない。
プレイヤーをゲームに没入させるための動機づけとしてストーリーの果たす役割は大きいし、作品の個性を引き立たせるスパイスとして、ストーリーやその背景にある世界観といった要素はいまやゲームとは不可分のものだろう。
そうではなく私が問題視しているのは、ゲームプレイそのものよりもストーリーを追うことに重きを置かれたタイトルが国内で90年代以降、特にプレステが市場の覇権を握ってしまってからおよそ10年、ゲームの主流として市場に氾濫してしまったことである。
そしてこの時期はちょうど国内ゲーム市場が徐々に作り手、受けてともに勢いを失った時期と見事にオーバーラップするのだ。
ここで、仮に「ゲームプレイ>ストーリー」の傾向を持つ作品を「創造型ゲーム」、「ストーリー>ゲームプレイ」の傾向を持つ作品を「消費型ゲーム」と呼ぶことにする。
消費型ゲームでは遊園地のアトラクション、あるいはフランス料理のフルコースのごとく、作り手は趣向を凝らしていろいろな展開を用意してお客さんを飽きさせないようもてなそうとする。
それは練りに練られたストーリーであったり、レアアイテムやモンスター図鑑のような、ふんだんに用意されたやりこみ要素であったり、あるいはその両方かもしれない。
プレイヤーはそういったものを一つ一つ受動的に体験していく。その過程は実際楽しいものだし、これら消費型ゲームがここまで国内で幅を利かせた原動力でもあったと思う。
ところがこれらのゲームは、(前のエントリーで触れたように)それらの目的を達成してしまうこと、イコールその人にとってそのゲームの寿命そのものなのである。
また、プレイヤー皆に同じ体験が用意されているから、皆ネタバレに気を遣って、例えば同じ職場に通う二人がそのゲームをお互いに遊んでいるとわかっていてもあえて話題にしない傾向が強い。
せいぜい「あのゲームクリアした?」 「いや、まだ」といった会話が交わされるくらいが関の山である。
そして、そのクリアまでの時間が相当に長いものだから、一度クリアしたゲームはたいていは二度と遊ばれない、あるいは途中まで遊んで挫折してしまう。
そしてそのゲームソフトの行き着く先は、おそらくゲームショップの中古品売り場の棚だろう。
一見安いソフトが流通してゲームプレイヤーの裾野が広がると思われがちだが、実際は中古品が売れても、それは販売店が儲かるだけでゲーム制作会社には1銭の利益にもならないものだから、こんなことを繰り返していてゲーム市場が活性化するわけがない。
さらにこのテのゲームは一度きりの体験が作品の核そのものだから、どうしても一定以上の量的、質的ボリュームが求められる点で作り手には少なからず負担になるし、作品の規模の面での多様性を阻害する要因になっている事実も見逃せない。
余談になるけれど、私が昔ゲームボーイアドバンスで遊んで、のちにシリーズ化された「テイルズ・オブ・ファンタジア」というゲームは、まさにこうした消費型ゲームの権化のような作品だった。
15 December
最近、会う人会う人にJelly Bellyの試供品を配りまくっているManackですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。(笑)
先日、ガタンゴトンと電車に揺られていたら突如友達からメールが。
「ジェリービーンズの量り売りコーナーが出来てるよ」
な、なんですと?! これは行かねば!!
というのも、今まで袋やケースに入って売っているのはいくつか見てきたけれど、大々的に量り売りコーナーを設けているお店にはまだお目にかかったことがなくて、ずっと憧れていたから。
輸入代理店直営の販売店も、ビル改装のため7月に閉店になってしまったらしい。
というわけで早速そのお店に行ってきた。
う~む、まさに壮観。
さすがにオフィシャルフレーバー50種類全部は置いていないけれど、49フレーバーミックスもあるみたいだし、ビーンズ以外にもJelly Bellyオリジナルの弁当箱やコースターのようなもの、それからMr. Jelly Bellyくん(JB社のマスコットキャラ。どことなくm&m'sのキャラに似てる気が……)のでかいビニール人形まで飾ってあって、今まで自分が見てきた中で随一の品揃えを誇ると言えよう。
何より嬉しいのがこのお店、自宅から30分圏内にあるということ。
これからもちょくちょく足を運ぶことになりそうである。
14 December
最近電車の中で発見した広告。
「寒いあなたを、ほっとケン。」
文章のすべてがダジャレで構成されている、まさに神。
これはさすがのManackにも寒かったっ……!(←褒め言葉です)
やるなカルピス。
13 December
前編はこちら
ストーリー性を前面に押し出したゲームというのは、「ゲームで遊ぶ過程」よりも「ゲームをクリアーすること」、「やりこみ要素を消化すること」に重きが置かれていることが多いから、その目標を達成してしまうとプレイヤーにとってそのゲームは(よほど愛着のあるタイトルでない限り)すぐに色あせてしまう。
ゲームソフトの会社は「中古品が氾濫してソフトが売れない」とぼやいて、いたずらにストーリーのボリュームや「やりこみ要素」を増やしてクリアーまでの時間を引き延ばそうとするが、それはゲームそのものの面白さを追求する行為とはまったく別で、かえって重厚長大な内容にユーザは嫌気がさすだけだ。
こういったことが、任天堂がDSやWiiで日本のゲームシーンを立て直すまで、ゲームに無理解な家電屋さんや、「美しいムービーや骨太のストーリーのゲーム」を売りとするタイトルに傾倒したり、遊園地やスポーツジムの展開、携帯アプリの開発など多角化経営にうつつを抜かしてきた国内サードパーティがゲーム市場を支配した10年間の、いわゆるゲーム氷河期に起こったことの真相なのだろう。
その間に海外ではPCゲームを中心に競技としてのゲームが浸透し、ゲーム開発者も力をつけ、Xbox 360などの次世代機が出そろった今では、まさに「パックマン」のごとく日本と欧米の立場は逆転してしまった。(このあたりの話題はこちらの記事が詳しい)
それでも日本では今もなお、タチの悪いことに「自国はゲーム先進国だ」と思い込んでいる人は、消費者だけでなく政府関係者や財界トップなどの間で根強く存在している。
その背景には言葉の壁や、現実を直視しようとしない国内サードパーティらと利害関係にあるゲーム雑誌などのマスコミがそういった事実を積極的に報道しようとしないため、そうしたワールドワイドな動きがなかなか国内に伝わってこないという事情がある。
今の日本では、本来の意味での「ゲーマー」は本当に希少種だ。
以前このブログで日本のゲームシーンの現状を「ゲーム途上国」と表現したことがあったけれど、実は途上国どころか「ゲーム鎖国」の方がしっくりくるのでは、と最近思うようになってきた。
途上国はハングリー精神旺盛で、現状をよりよくしようとするムーブメントがある分、まだ救いようがある。
本当に良いゲームというのは、「ゲームを遊んでいる過程」そのものを楽しめるものだ。
ゲームの目的も10人いれば10通りあるはずで、さまざまな腕前、嗜好のプレイヤーがそれぞれ自分に合った楽しみ方のできる、間口の広いタイトルこそが「良いゲーム」ではないだろうか。
それは例えばサッカーや卓球やスキー、あるいはチェスやカードゲーム、麻雀などが、プロから初心者まであらゆる層に等しく楽しまれ続けていることと同じである。
そして身近な人はもちろん、見知らぬ人ともゲームを一緒にプレイしたり、ゲームを軸にコミュニケーションの輪が広がったりすることこそ、日本のゲーム産業にとって利益になるはずだ。
日本eスポーツ協会の取り組みはそういう意味で、今の我が国の閉塞したゲームシーンが本当に必要としている取り組みだといえよう。
今後の活動に大いに期待を寄せたい。
先日、参議院議員の西村康稔氏が委員長を務める、日本eスポーツ協会(JESPA)設立準備委員会なる組織がその発足記念イベント「eスポーツ日韓戦」を開催した。
eスポーツ、というのは日本ではまだなじみの薄い言葉なのでちょっと補足すると、テニスやサッカー、陸上競技などのスポーツと同じようにコンピュータゲームもスポーツの一種と捉え、それらの競技を通じてゲーム文化の発展に貢献するというもの。欧米や韓国といったゲーム先進国ではすでにこうしたゲーム競技でご飯を食べている「プロゲーマー」が多く存在する。
なるほど、確かにスポーツと言えば「カラダを動かす競技」といった先入観があるけれど、実際わが国でも囲碁や将棋は長らく文化的な競技として定着しているし、まだ日本がゲーム先進国だった80年代のアーケードゲームは、より多くのスコア(得点)を競うことが主眼とされていることを考えればゲーム=スポーツ、という考え方は容易に理解できる。
そもそも「ゲーム」というのは「競技」や「勝負」といった意味合いもあるわけだし、野球やフットボールの試合のことを「ゲーム」と言うではないか。
そう、ゲームは他人と腕を競い合ったら、気の合う仲間とわいわい楽しんだり、本来そういったとても社交的な遊びのはずである。
ところが90年代後半から日本のゲームはどこをどう道を踏み外したのか、「ゲームはひとりで黙々と楽しむ孤独で不健康な遊び」といった趣が濃くなっていったように思う。
それはゲーマー、制作者ともに本来のゲームの楽しみを忘れ、ゲーマーが能動的に目標や遊び方を見つけるゲームから、制作者があらかじめ設定した目標やストーリーをただ消化するだけのゲームへと主軸となるタイトルが移り変わっていったことが原因ではなかろうか。
ゲームにおけるストーリーというのはあくまでゲームに彩りを加えるスパイスであって、ゲームの核心ではないはずだ。
ところが、よく巷では「あのゲームのストーリーは……」とか、「あのキャラクターの性格は……」なんて会話が交わされる。
物語を楽しむなら、ゲームなどやらずに映画を見たり小説や漫画を読んだりする方が短い時間で多くの作品に接することができるという意味ではるかに有意義な時間の使い方だと思う。
以前、とあるニュースサイトで、「これからのゲームに求めるものは?」というアンケートをやっていたことがあったけれど、「引き込まれるストーリー」がトップの票を獲得しているあたり、日本人のゲーム観は世界標準から相当ズレていると言わざるを得ない。

11 December
出先で発見した輸入食料品店で、海の向こうのソフトドリンクをたくさん買う。
左から、ドクターペッパー(日本でも有名だけど、ドクペ好きの友人(笑)いわく、日本のとアメリカのとは味が違うらしい)、A&Wルートビアー(ビアーとあるがお酒ではない。トクホンの味がする(!)驚異の飲料。海の向こうの同名のファーストフード店ではお代り自由らしい)、A&Wクリームソーダ(バニラ味らしい。でもどうせ人工香料だろうなぁ)、Dad's ルートビアー(これまた別の友人談、A&Wよりシップ度(笑)が高いらしい)。
毎日少しずつ楽しみますか……。
01 December
昨日、ボーカル収録のディレクションをしに都内のレコーディングスタジオを訪れたのだけど、なんとそこには可愛らしい猫ちゃんの姿が!
7歳の雄ということで、けっこうお歳を召している感じだけれど、なんでも生まれ間もない頃からずっとこのスタジオで育ったらしく、お客さんに人見知りすることもなく、文字通り我が家のようにゆったりくつろぐ姿が印象的。
う~む、癒された。(笑)